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浦和地方裁判所越谷支部 平成7年(わ)265号 判決

主文

被告人を懲役一年六月に処する。

未決勾留日数中二七〇日を刑に算入する。

訴訟費用は、被告人の負担とする。

理由

(犯罪事実)

被告人は、法定の除外事由がないのに、平成七年九月下旬から同年一〇月一日までの間、埼玉県内又はその周辺において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを含有する水溶液若干量を自己の身体に摂取し、もって、覚せい剤を使用した。

(証拠)《略》

(説明)

一  当裁判所は、主位的訴因事実の「被告人は、法定の除外事由がないのに、平成七年九月三〇日ころ、埼玉県八潮市《番地略》所在の被告人方において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを含有する水溶液若干量を自己の左腕部に注射し、もって、覚せい剤を使用した。」という事実を認めず、判示のとおりの予備的訴因事実を認めたものである。

なお、検察官は、主位的訴因事実にしても、予備的訴因事実にしても、被告人が覚せい剤残存期間内において、複数回にわたり覚せい剤を使用したとしても、そのうちの最終的使用事実を捉えて起訴したものと解されるのであり、当裁判所も、被告人の最終的使用事実として予備的訴因事実を認めたものである。

これに対し、被告人は、公判において、主位的訴因事実にしても、予備的訴因事実にしても、その日時場所において被告人に覚せい剤が摂取されたことは認めるものの、いずれにしても、被告人は、夫であったAに覚せい剤を強制的に注射されたものであると供述し、弁護人も、同様の理由により被告人の無罪を主張するので以下検討する。

二  証拠一、二、七(ただし、検甲三)、八、九によれば、被告人は、平成七年一〇月一日午前三時二〇分ころ、Aに連れられて草加警察署を訪れ、その場でAから被告人が覚せい剤を使用していると同署の警察官に告発されたこと等から、同日午前六時半ころ警察官に尿を採取され、その尿から覚せい剤が顕出されたこと、被告人の左腕部には比較的新しい注射痕がみられたことが認められる。

これに、覚せい剤が体内に摂取された場合の体内残存期間が少なくとも一週間程度であること、また、右の各証拠により認められる右期間内の被告人の行動地域の範囲を総合すると、判示のとおりの日時場所において被告人に覚せい剤が摂取されたものであることが認められるのであり、かつ、そうである以上は、経験則からみて、特段の事情がない限り、被告人が故意に覚せい剤を摂取したものと推認することができるものというべきである。

三  次に、被告人に覚せい剤が摂取された日時、場所、方法につき検討するに、検察官は、これを主位的訴因事実のとおり特定しており、これが主としてAの供述に依拠していることは明らかである。

1  証拠一ないし九並びに前科調書(甲)及び判決書謄本によれば、確定的な事実として次の各事実が認められる。

(一) 被告人は、平成四年六月一二日前夫Bに対する殺人未遂罪を犯し、同年一〇月五日東京地方裁判所において懲役三年、四年間執行猶予の判決を受け、そのころ、Bと離婚し、両親らとともに埼玉県八潮市《番地略》に引っ越し、そこで、特に就職することなく生活をしていた。

(二) Aは、かつて暴力団に所属していたが、その後は、タクシー運転手として稼働し、昭和四八年六月、C子と婚姻して長男Dをもうけた後の平成五年一一月C子と離婚した。しかし、その後もAは、C子との交際を続けていた。なお、平成六年五月、Dは、大麻取締法違反の罪で執行猶予付の有罪判決を受けている。

(三) 被告人は、平成七年三月、Aと知り合って交際をするようになり、同年四月半ばころから、被告人の両親らが住む実家でAと一時同居をした後、同年五月二一日から埼玉県八潮市《番地略》所在の借家でAと二人で生活するようになったが、そのころから、Aが入手してきた覚せい剤を二人で使用するようになった。

(四) 同年六月一九日、C子が覚せい剤の使用及び所持の嫌疑で逮捕され、同年八月二九日、執行猶予付の有罪判決を受けて釈放されたことがあった。そして、同年七月五日、Aも、覚せい剤所持の嫌疑で逮捕され、同月二六日釈放されたことがあった。

(五) しかし、被告人は、同年八月一日Aと婚姻をした。そして、同年九月半ばころ、Dにメモを渡し、Aも了承しているとして覚せい剤の入手方を頼み、Dを通じて覚せい剤を入手したことがあった。

(六) 同年九月三〇日朝方、Aは、タクシー運転手としての勤務を終えて自宅に帰り、ビールを飲んでいたところ、被告人も起きてAと会話等した。Aは、その後、睡眠をとり、同年一〇月一日午前二時ころ目をさましたが、そのときは被告人が自宅に居らず、実家に行く、電話を下さい旨記載した置き手紙があるのを見つけた。

(七) Aは、さっそく車で被告人の実家に赴き、被告人を連れ出して車に乗せた。そして、同日午前三時二〇分ころ草加警察署前に至り、同署の警察官に対し、被告人が覚せい剤を使用している旨告発し、被告人を警察官に引き渡した。被告人は、当初は、警察官に対し、覚せい剤の使用事実を頑強に否定していたが、予備試験で被告人から採取された尿から覚せい剤が顕出され、被告人の左腕部には比較的新しい注射痕もあったことなどから、覚せい剤使用の嫌疑で逮捕された。しかし、被告人は、今度は、覚せい剤はAに強制的に注射された旨弁解し、その日時場所は、同日から二、三日前ころ八潮市内のラブホテルでと供述し、その後は、日時を同日から二、三日前ころ、一、二日前ころ、三、四日前ころ、あるいは、同日朝方と次々に供述を変え、いずれにしても自宅で摂取されたと供述をした末、公判では、一貫して同月三〇日朝方自宅でAに強制的に注射されたと供述するようになった。

(八) 他方、Aも、被告人を草加警察署に連れていった際に採尿され、その尿中に覚せい剤が顕出され、右腕部に注射痕もあったこと等から、その後、覚せい剤使用の嫌疑で逮捕、勾留された後、覚せい剤取締法違反の罪で執行猶予付の有罪判決を受けた。なお、Aは、覚せい剤は、同月三〇日朝方タクシー運転手としての勤務を終えて帰宅し、ビールを飲んでいたところ、被告人が起きて来てビールのつまみを用意すると言われた、ところが、被告人は、台所で湯飲み茶碗等を使って覚せい剤水溶液を作り、これを二本の注射器に入れ、その場で自ら、うち一本の注射器で覚せい剤を注射し、それから、自分にもう一本の注射器を持ってきた、そこで、自分も覚せい剤を注射しようとしたが、うまくいかなかったので、結局、被告人に覚せい剤を注射してもらった旨供述し、当公判でも同様に供述している。そして、その勾留中、面会に来たC子に対し、前記(五)のメモについて話しかけたことなどから、C子が同年一〇月一二日右メモを草加警察署の警察官に届け出ている。

以上の各事実が認められる。

2  しかし、証人Aの右(八)の供述は、にわかに信用することができない。

すなわち、同供述の内容は、その細部にわたる尋問に対し「記憶が薄れている」「難しくて答えられません。」といった特異な供述を多々したうえ、検察官の尋問で明らかにした供述内容についても、その後の公判における弁護人の尋問に対しては「記憶が薄れている。」とか、前と矛盾した供述をするほか、覚せい剤の入手先についても疑わしい供述をするなどしており、しかも、その供述内容は全体的に曖昧であり、かつ、迫真性に乏しいといわざるを得ない。結局、証人Aが当公判においてその記憶のまま供述したと確信することはできない。

3  したがって、被告人の覚せい剤使用の場所、時期、方法については、証人Aの供述によっては特定することができず、同供述に依拠した主位的訴因事実はこれを認めることができない。しかし、証人Aの右供述が予備的訴因事実の認定の妨げになるような特段の事情となり得ないものであることはいうまでもない。

四  そこで、弁護人は、被告人はAに強制的に注射されたものであると主張し、被告人も、公判では前記のとおり供述しているので検討する。

1  結論をいえば、被告人の公判における供述も信用することができず、右供述によっても、予備的訴因事実の認定の妨げになるような特段の事情とは、なり得ないものと判断する。

すなわち、前記三1(七)の被告人の供述の変遷及びその変遷の経緯のほか、証拠一によれば、被告人の覚せい剤使用歴、Aから暴行を受けた頻度についても、その供述の度に変遷していることが認められるのである。そして、前記のとおり、被告人には殺人未遂罪による前科があり、被告人が覚せい剤使用の嫌疑で逮捕、勾留され、起訴されたのは、その執行猶予期間内であったことが明らかであること等から、被告人は、やはり、長期の刑を免れるために、客観的な証拠を示されない限り、記憶通りの供述はしないといった態度を示していることが容易に窺われるのである。

これに加えて、弁護人の弁護活動は、例えば、被告人に対し、検察官調書、警察官調書について、弁護人の立会いのない限り署名押捺をしないよう指示したり(このような弁護活動が一般化すると、否認事件における捜査側の被疑者に対する取調べが全く無意味になるおそれもある。)、証人Eが、弁護人の尋問に対して、被告人が同年九月三〇日午後八時ころ実家に来て、実は覚せい剤を使用していると告白したと証言したのに対し、直ちに「被告人は自分で覚せい剤をやっているといったのか、誰かにやられたと言っていたのですか。」と不当といえる誘導尋問をし、同証人からAに打たれたという供述を引き出してからは、被告人が覚せい剤を使用していると告白したことを前提とした検察官の反対尋問のみならず、裁判官の補充尋問に対しても、異議を申し立てたり、A名義のダイアリー(同押号の1)の作成の経緯についても、被告人質問の中で、検察官から「ダイアリーにはAの行動ではなく、被告人の行動が記載されているのではないか。」といった質問に対し、被告人がその説明に窮していた経緯の中で、弁護人は、「Aは毎日その日にあった事を書いたのですか、それとも、後からまとめて書いていたのですか。」と不当といえる誘導尋問をしている(したがって、弁護人の誘導尋問によって得られたこれらの証言、供述は採用できない。)のである。さらに、本件の主位的訴因事実と予備的訴因事実は、前記のとおり覚せい剤の体内残存期間内において、被告人が最終的に使用した事実を捉えて起訴したものと解されるのであるから、もとより公訴事実の同一性があり、また、検察官が本件予備的訴因事実のような特定方法で起訴をするのは、覚せい剤使用者の体内から覚せい剤が顕出されたという客観的証拠があるものの、覚せい剤犯罪の密行性、覚せい剤犯罪者の性癖等からその使用の場所、時期、方法を特定するに足りる証拠が見いだせない状況において、一般的に行われ、それ自体として特定性を欠くものとして不適法となるものではないことは明らかであるうえ、予備的訴因の追加請求時には、右の状況にあることはそれまでの訴訟の経緯からみて自明であったといえるのに、弁護人は、予備的訴因の追加請求に対する意見を求められながら、意見を述べず、予備的訴因の追加につき殊更に、釈明を求め、釈明しないことに対する異議等を申し立てている(予備的訴因の追加の許可決定は、このように弁護人に意見を述べる機会を与えたうえでのものであるし、弁護人の意見内容も、異議申立ての際に改めて考慮しているのであるから、もとより適法なものであると思料する。)。これらの弁護人の弁護活動は、相当とは言い難く、このような弁護活動によって、被告人ないしは被告人側証人から真実性のある供述が得られるとは思われない。

そして、被告人の覚せい剤の最終的摂取に関する公判での供述内容は、一見一貫しているものの、前記のとおりの供述の変遷があることは明らかであるほか、Aとは夫婦関係にあり、他方で、被告人は、本件で逮捕される前はAと離婚するつもりもなかった、婚姻後はF、G、Hらとは交際してはいないし、Aに対してはそのように説明していたとしながらも、Aから、Aと婚姻した後もF、G、Hらと交際しているのではないかと疑われ、週に一度の頻度で暴行を受けていたとか、前記メモの記載及び証人Dの証言からすると、被告人が主体的にDに覚せい剤の入手方を依頼したと認めざるを得ないのみならず、そのころはAが仕事を休みがちであり、収入がなかったので、Aが覚せい剤を入手するのにも被告人が金銭を出してやっていたと説明しながら、これはAがDに依頼したものであって、覚せい剤入手後の被告人の取分は使用しないで水道に流して捨てたとかいった不自然不合理な供述をしているほか、被告人は、Aが被告人の不貞を疑い、嫉妬心と覚せい剤の影響から、被告人に対し、強制的に覚せい剤を注射し、被告人を警察官に告発したかのような供述をするものの、そうであるなら、Aは被告人に覚せい剤を注射してから、ほどなく被告人を警察官に連れていったはずなのに実際はそうではなかったこと、被告人は、実家に行く際、前記の置き手紙をしているが、その手紙の内容からみても、その作成当時、被告人がAと夫婦喧嘩をしたような形跡がみられないことに照らすと、被告人の公判での供述はにわかに採用できないといわざるを得ない。

なお、ダイアリーは、その筆跡からAが作成したものとは断定できず、また、その記載内容も、被告人と知り合う前の被告人に関する事柄や被告人の交際相手の誕生日が記入されていたり、行動の主体がAではなく、被告人であると判断せざるを得ないように記入されていたりしていることなどを考慮すると、むしろ、被告人の記憶に基いてA以外の誰かがこれに記入した疑いがあるから、これらの記載がAによるものとは認め難い。

以上によれば、被告人の身分関係、その供述の変遷とその変遷の経緯、公判における供述内容に、弁護人の右不相当な弁護活動等を合わせ考慮すると、被告人の公判における供述は、その記憶のまま供述されたものとは到底思われず、信用することができない。

したがって、被告人の以上の供述をもっても、予備的訴因事実の推認を妨げるような特段の事情があるということはできない。

2  なお、被告人に覚せい剤が摂取された経緯につき、被告人は、同年九月三〇日午前五時ころ自宅でAに言われて、空のと湯の入った湯飲み茶碗二個をAの前のテーブルに置き、その後、Aが覚せい剤水溶液を作って、これを二本の注射器に入れた後、うち、一本の注射器を右手に持って、こたつの前にいた被告人の背後に回り、左手で被告人の腹部を押さえつけ、「腕を出せ。」と言った、そこで、被告人は「やめて」といったものの、すぐ、抵抗するのを諦め、自分の左腕をこたつの上に差し出したところ、Aがその左腕に覚せい剤を注射したと供述しているが、被告人の供述が信用できないことは前記のとおりであるところ、仮に、被告人の供述を前提にしても、その際、Aが被告人を殴る蹴るなどの暴行を加えず、脅迫もしていない反面、被告人においては通常抵抗といえるような抵抗もせずに自ら左腕をこたつの上に置いたといえることに鑑みると、むしろ、被告人は、Aが覚せい剤使用の準備に協力するなどして暗黙のうちに覚せい剤使用の共謀をしたうえ、覚せい剤を使用したものと評価することができるのであって、被告人がその自由意思が完全に奪われた状況下でAに覚せい剤を注射されたものとはいえないことは明らかである。

被告人は、前記のとおり、婚姻後、Aから、F、G、Hらと交際しているのではないかと疑われ、週に一度の頻度で暴行を受けていたから、Aに注射される際に、抵抗すればAから暴行を加えられると思い、抵抗しなかったと供述するが、右供述が不自然不合理であることは前記のとおりであるほか、これを裏付けるに足りる証拠がないのみならず、Aとは夫婦関係にあり、被告人は、本件で逮捕される前はAと離婚するつもりもなかったとも供述している点等に照らすと、Aが右の頻度で被告人に対し暴行を加えていたようなことはなかったと推認されるのであり、この点に関する被告人の供述は信用できない。

以上のとおり、弁護人の主張は採用できない。

(法令の適用)

罰条 覚せい剤取締法四一条の三第一項一号、一九条

未決勾留日数の算入 刑法二一条

訴訟費用の負担 刑訴法一八一条一項本文

(量刑の理由)

本件は、被告人が覚せい剤を使用した事案である。

覚せい剤犯罪の撲滅は、国民社会の重要な課題であり、かつ、念願であることはいまさらいうまでもなく、覚せい剤犯罪に対しては厳罰をもって対応すべき状況にあることもまたいうまでもないといわなければならない。しかるに、被告人は、平成七年五月ころから覚せい剤を繰返して使用していたことが窺われ、本件犯行は、その一端に過ぎないということができる。しかも、被告人には、平成四年一〇月五日東京地方裁判所で殺人未遂罪という重罪を犯し、懲役三年、四年間執行猶予の温情判決を受けて、社会内での規範意識の涵養と更生の機会を与えられながら、その執行猶予期間中に、覚せい剤犯罪に対する量刑事情からすれば今や重罪といえる本件覚せい剤犯罪を犯したものであることからすると、その規範意識は甚だ薄いものがあるといわざるを得ない。

このような事情からすれば、被告人の刑事責任は重く、その犯情からすれば、実刑はまことにやむを得ない。

他方、被告人は、本件犯行の成立を認めないのであるが、覚せい剤摂取に至ったことについては反省していること、今後は、覚せい剤に対しては一切関わらないと述べていること、被告人が覚せい剤犯罪を犯すようになったのは、被告人が交際をし、その後婚姻したAが被告人に覚せい剤使用を勧めるようになったからであることが窺われること、被告人には右のとおりの前科があるほかは、他に前科がなく、前科と本件犯行とは罪質が全く異なることといった被告人に有利な事情もあるから、これらの事情をも十分考慮して主文のとおり量刑したものである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 伊藤茂夫)

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